空中散歩ブログ

そらなかのちょっと長い呟きです。

代書屋

 8日の土曜日の「ちりとてちん」再放送(第103話)で、落語家としての壁にぶつかっている若狭にたいして、草若師匠が「創作落語をやってみたら?」と薦めるシーンがありました。

 まるで落語の登場人物かのような、アホでおもろい人々の中で今日まで育まれてきた若狭(喜代美)ですし、落語を志すようになる前から、本人は真面目に素で一生懸命しゃべってるつもりでもそれがまるでネタでも見せてるかのように見えて(聞えて)しまうことも多々あって、それが草若師匠を面白がらせていましたからね。そんな彼女にはピッタリだと草若師匠は思ったのでしょう。

 そして、「創作もやがて古典になってしまうこともる」とも、草若師匠は言ってましたね。そこで今日の記事の本題なのですが、創作がやがて古典同様になったという代表のような噺のひとつが、私にとっては「ちりとてちん」の影響で上方落語に関心が向くようになったお陰で出会えた傑作落語で、今や個人的音源リピート率が圧倒的な『代書屋』という噺です。私が愛聴しているのは三代目・桂春團治さんのCD。

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 『代書屋(「代書」と呼ばれることも多いとか)』についての詳細はウィキペディアで。 → Wikipedia「代書」

 昭和も二桁にはいってから創作された噺のようですね。この春團治版では、主人公の無筆のオッサンが、昭和3年の昭和天皇即位式(御大典)のお祝いの提灯行列で、はじめて子供から青年(若いもん)として扱われるようになったという話をしていたり、明らかに昭和20年の終戦後が噺の舞台であるかのような描写がなされていたりなどしています。

 とにかく堅物っぽい代書屋の男と、履歴書を代筆して貰うためにやってきた無筆のオッサンとのやりとりが、もう爆笑ものでして、入手して3ヶ月も経っていませんが、もう3日聴かない日はないくらい何度も何度も聞き返しては笑っております。特に、職歴を尋ねられてどうにも要領を得ずトンチンカンなことばかり言う無筆男が「わての本職は"ガタロ"だ」というくだりが個人的に最大の爆笑ポイントですね。そこが近づいてくると自然と笑いがこみ上げてくるんです。